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自ずから収まるところに収まる

症状の経過と現状

症状の経過を便宜上、急性期、安定期、慢性期、回復期と分類して提示してみました。医学的に認められた分類ではありません。また、常にこのような変化を辿るわけでもありません。あらかじめご了承ください。

 

①急性期

寅三郎は8年前(2013年)に発症しました。発熱や咳、濃痰(黄色)があり、からだがだるく、肺炎にかかったかと思いました。市内の病院を訪れ、レントゲン検査や血液検査を受けましたが、確かな原因はつかめませんでした。医師も首をかしげていましたが、とにかく診断をつけなければ処方もできないと思われたのでしょうか、膿胸との診断を受けました。抗菌薬、ウルソ(消化機能改善薬)、急な発熱時に飲むようにと解熱剤を処方され、7日飲み続けましたが効果がなく、その後、抗菌剤、ウルソに、咳止め、去痰剤が加わり、さらに5日ほど飲み続けました。しかし、ついに症状が改善することはありませんでした。自分の体のなかで何が起きているのだろうと不安に駆られました。体力が低下し、これまで自転車通勤していたのが、さすがにバス通勤に切り替えました。

 

②安定期

年が明けて、7年前(2014年)に仕事の関係で名古屋に引っ越しとなりました。ここでかかった病院でアスペルギローマと診断され、イトラコナゾール錠剤を処方されました。発病してから、正確な診断に行き着くまでに半年かかりました。名古屋に移ってからは喀血(鮮血)が1度ありましたが、特段、命の危険を感じることもなく、体調も戻り加減にありました。再び自転車を始め、坂の多い土地をママチャリで走り回りました。ただ、起きがけに、毎朝のように桃色の痰が出ました。

 

③慢性期

5年前(2016年)に名古屋での暮らしを終え、田舎での暮らしが始まりました。初めの1年くらいはカビの数値(βDグルカン)も低く、体調がよかったのですが、その後、ジワリと数値が高くなっていきました。これに歩調を合わせるように、夜間や朝方を中心に咳とともに、血痰に悩まされ続けました。止血剤なども飲んでいました。

 

④再び急性期に突入

3年前(2018年)には夜間に片手いっぱいほども喀血するようになり、肺に逆流すれば窒息するおそれもあることを医師に告げられました。夜寝るのが怖かったです。この頃が一番つらい時期でした。βDグルカンの血中濃度は200を超えていました。これは、正常値のおよそ40倍以上の量にあたります。レントゲンで、肺の片方の上半分(上葉部分)がほぼ真っ白でした。カビが減る様子もなく、カビのことはもうどうしようもないので、せめてウィルスや雑菌の影響を受けないようにと、特段の注意を払って暮らしていました。

 

⑤回復前期

2年前(2019年)に、この病に罹ってはじめての入院を経験しました。肺炎によるものでした。雑菌とカビのいずれが原因か特定ができず、医師のチームで、抗菌剤と抗真菌剤(静菌作用のあるもの)のハイブリッド治療をしていただきました。結果的にこのときの肺炎の原因は雑菌と思われました。抗菌剤の点滴治療のおかげで、回復しましたが、このときにイトラコナゾール液剤に切り替えました。これまでもイトラコナゾール錠剤で十分にカビは抑えられていたため、特段、薬を変える必要はなかったのですが、錠剤よりは液剤の方が、腸からの吸収がよいとの医師の判断でした。薬剤を変えたわけではないので、カビの増減に変化はありませんでした。

その半年後に再び肺炎となり、二度目の入院を経験することになります。これも雑菌が原因の肺炎でした。この時をタイミングにブイフェンドに切り替えました。点滴治療が奏功して、退院の頃は雑菌による菌球周囲の影は消えたものの、菌球はそのままに残りました。

しかし、さらにその8か月後、ついに待ち望んだその日が訪れます。CT検査で、カビでほぼいっぱいだった空洞内(菌球)はすっかりきれいになったんです。飛び上がるほどに喜んだのもつかの間、この頃からおよそ半年に一度の割合で入退院を繰り返すようになります。空洞内に水がたまったことが原因でした。水は新たな脅威となりました。

 

⑥回復後期

今年3月の検査で、血中のβDグルカン6以下、アスペル抗原(-)と正常値になりました。この頃になると、朝方の咳と痰はだいぶ少なくなりました。痰も、はじめのうちは、朝方にドロッとした色の濃いものが少量でる程度でしたが、最近は、咳とともにサラッとした薄い黄色の痰が出る日が多くなりました。今は念のため、ブイフェンドを続けています。