貪欲な生命力に感動(パッションの苗づくり)
難病アスペルギルスに区切りをつけ、パッションフルーツに舵を切りました。
初年度の今年は苗木を二本買ってトライしましたが、成果は7~8個。
来年度に向け、苗木つくりを始めています。
初年度の株から小づる(孫つるが付き始めているもの)を切り取り、
7~8本用意して、赤玉土(細かい)に差して、水やりだけに。
葉っぱは最小限の1~2枚に。他はすべて摘む。
肥料をやるとだめらしいです。
結果、写真の手前に写る株は葉っぱが増えているのがわかります。
おそらく成功でしょう。他はわからない。様子見です。
それにしても、どん欲な生命力に驚嘆させられます。
人も、植物もおよそ命ある者、すべてこの貪欲さが生死を分ける気がします。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。
パッションフルーツの完熟
二株、地植えしたパッションフルーツ。6月に花が咲き、その後10個ほども実をつけました。勝手に受粉してくれないので、人の手で一花一花受粉してやらねばなりません。それも、紫色に着色する種類だからこそで、黄色の?パッションフルーツなどは他の株の花粉を移植する必要があるとか、詳細はわかりませんが、育てるのが難しい果樹であることは確か。
10個のうち、二個ほどは果実が小さいうちにスポンジ状のスカスカ果実になり、残りの8個ほどは順調に育ってくれました。ただ、色がつかない。紫色になって自然落下という状態を思い浮かべていたのですが、緑色のうちに落下してしまう果実も。
先日、緑色のまま落下したパッションフルーツを思い切って割ってみました。
すると中身はぎっしり。外からはパッションのいい香りがしていたので、よもやスカスカではないだろうと思ったのですが、ここまで成熟しているとは。
パッションも生き物です。個性が違う。皆、紫色になるわけでもなく、黄緑色で成熟する場合だって。それも、これも個性の違いとみれば、パッションに教えられた一日でした。
パッションフルーツが着果
闘病体験記を出版して、いまはほっとしています。
正直言って、金もかかることなので、どうしようか悩んだこともありましたが、
一つの区切りとすれば、充足感に浸っています。
案ずるよりは産むがやすしという諺があります。
どうぞ、皆さんも、何かにぶつかって、にっちもさっちもいかなくなったときは
最後は、思いっきりジャンプしてみられることをお勧めします。
さて、
冬は雪深い北国で、まさかのパッションフルーツの着果です。
ブラジル原産の果実、正直、無理かなと思いながら、思い切って地植えに
挑戦してみました。
1株に5個実をつけました。しかも、こんな地面近くに。
普通はブドウのように棚から下がっているはずなのに・・・ワオ・・
6月に開花、順調にいけば8月には紫色に着色して落果、
収穫時期を迎えます。
株は2m近くまで背を伸ばしています。
青いバラは、「不可能」の代名詞だったようですが、誰かが成功すると
「不可能」は「夢かなう」に変わりました。
何ごとも、やってみなければわからないですね。
がんばれー。パッションフルーツ。
自費出版しました
日頃、拙い記事を読んでいただき、ありがとうございます。
ブログのなかで、難病にかかり、死の淵を乗り越えたまでを書かせていただきましたが、これまでの履歴を本にまとめました(「いのち輝く 難病アスペルギローマとの闘いの記録 とらさぶろう著 2022年6月20日 ブイツーソリューション発行)。免疫を中心テーマに据えました。免疫がすべての病を治す最高の薬だとの思いからです。一方で、免疫を強く維持することの難しさにも直面しました。
自費出版とし、発行部数も100部ですが、同病の方、関心のある方に手に取っていただきたいと思っています。率直な書評などもお寄せいただけると励みになります。
(目次の概要)
第一篇 この病特有の難しさ
病状の経過について触れ、原因、様々な症状がどういった理由で生じるかを考察し、最後にどういった検査を経て診断にいたるかに触れました。
第二編 患者にとっての武器とは
薬の働き、免疫の働き、免疫を強める可能性を持つサプリなどに触れました。
また、こんな治療があったら・・・という項目で、光免疫療法について触れました。
今月になって、この研究をされている研究者の方がおられることをネットで知り、心を強くしました。動物実験で、成功したとのことでした。病巣まで1cm程度までの対応ですが、内視鏡などを使えば深部での対応も可能なようです。耐性を持った菌にも対応するようです。患者の皆様には朗報です。早く実用化してほしいなあと思います。
家庭菜園を始めてみました
いつもブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
本当に久々の投稿になりました。
体調が回復傾向なので、今年から家庭菜園を始めました。
パッションフルーツ(情熱の果物)です。
一番上で円盤のように三方向に腕を伸ばしているのがめしべです。
その下にはおしべ。
パッションの世界もレデイファーストです。
この後、実がついて2か月後には紫色になり自然に落下するようです。
なんとか、紫色になるまで行ってほしいものです。
がんばれー。
病に負けない心を育てる
だいぶ前のことになりますが、長岡市にある科学博物館を見学させていただいたことがあります。なかに、長岡城の歴史を展示するコーナーがあって、長岡藩藩主の末裔にあたられる、館長直々にご説明いただけることになり、身の引き締まる思いがしたことを覚えています。
長岡藩には、「米百俵」の精神があって、後世に語り継がれています。小泉元首相も故事を飲用されたことがありました。
山本有三の戯曲「米百俵」では、この場面を次のように表現しています。(河井継之助なき後。藩の重職についた)小林虎三郎は「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かってこう語りかけます。「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米俵などでは、見積もれない尊いものになるのだ。その日暮らしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」
小林虎三郎は、長州の吉田寅次郎(松陰)とともに「(佐久間)象山門下の二虎」といわれています。その象山をして「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林のみである。」と言わせるほど、虎三郎は根っからの教育者でした。戊辰戦争によって失われた藩校は、寺院本堂を仮校舎として再開されます。その後建て替えられますが、その際に米百俵を売ったお金が建築資金の一部として使われ、誰でもが入学できるものとなります。長岡高校にその伝統が引き継がれ、山本五十六など軍人や半藤一利(夏目漱石の親族でもある)など多くの著名人を輩出したことで知られています。
その小林虎三郎ですが、数々の改革に取り組みながら、終生、彼を苦しめたのは、慢性リュウマチなど、様々な病でした。虎三郎は後年、自らを病翁と号しています(改名したとの説もあります)。
虎三郎は、漢詩をよく書いています。以下、坂本保富先生の論文「病翁小林虎三郎の病気と現状の分析」から意訳を引用させていただくと・・・・・
「久しく難病を患って苦しんでいるが、どうしょうもない。まるで優れた鷹が遠くへ飛んでいく羽根を折ったようで、どんな治療も効果がなく、年月だけが空しく過ぎていく。色々なことが入れ替わって、だんだんと老境に近づいていく。」(明治5年頃)
この頃「虎三郎は、持病である風湿 (慢性リウマチ)を病んでからすでに20 年が過ぎ、さらに今また肝臓病や皮膚病を併発し、それらの病気に特有な脱力感、掻痒感、食欲不振などの症状に苦悶して精神的に沈欝の状態にあった」ようです。そうしたなかでも、この後の数年間は、「小学国史」など持論の教育立国に関係した数々の作品を世に出すなど、精力的に活動します。その虎三郎について、坂本先生は「病魔と格闘しながら、何事かをなそうと最期まで苦悩した彼の人生は、常に永遠なる天と対峠して己の天命を問い、恥じなく己を全うせんとする、実に壮絶な一期であった」と結んでいます。
こういった虎三郎の生きざまから、私たちは何を学べばよいのでしょうか。私は、諦めない心だと思っています。虎三郎は慢性リュウマチなど、20年以上も病と闘って、いつかは治したいと思いながらも、晩年に「病翁」と号するあたりのことを考えると、「不自由を常と思えば不足なし」(家康の遺訓としても知られます)といった達観した気持ちが、このときにあるいは芽生えていたのではないか、だからこそ、病を言い訳にせずに、次々に著作に表して、具体的な形にしていったのではないか、そう思えてくるのです。
虫垂炎はなぜおこる
「ギリシャのヒポクラテスの時代から、腹痛や腹膜炎の原因となる虫垂炎が知られていたが、なぜ起こるのかは」不明だったそうです(治療79巻10号 安保徹/著、以下同じ)。きっかけとなったのは、1994年12月に、新潟県坂町病院の副院長だった福田稔先生が「天気がよくなってゴルフに行こうとすると、アッペ(虫垂炎)の手術が入って行けなくなる。この謎を解いてほしい」と安保先生に依頼があり、共同研究がスタートしたとのこと。摘出虫垂の病理診断の結果にそのときの気圧を照らし合わせたところ、低気圧では、リンパ球の影響が強く出てカタル性の炎症(粘液)が出るが、高気圧では、顆粒球の影響が強く出て化膿性の炎症(膿が出る)がみられたとのことです。これを時系列にしてみたところ、低気圧では副交感神経優位でリンパ球増加、高気圧では交感神経優位となって顆粒球増加の関係が明瞭に見られたとのことでした。
もっと驚いたことには、壊疽性の虫垂組織を電子顕微鏡で調べたところ、顆粒球が組織を破壊していることはみられたが、細菌が侵入した痕跡はどこにも見られなかったとのこと。これは、何を意味するかといえば、細菌の侵入がないにもかかわらず、顆粒球が組織を破壊した結果、壊疽性の虫垂炎を引き起こしていたことを意味すると思われます。(敵がいないにもかかわらず、一方的に攻撃を加える)交感神経の暴走によるものです・・・
一方で、カタル性の虫垂組織を調べたときには、一般の風邪の原因となるアデノウィルスが検出されたとのこと。風邪で鼻を垂らしているときには、虫垂もカタル性の炎症を起こしていたことが想像されるとのことでした。リンパ球は全身に張り巡らされ、外敵の侵入に備えています。ウィルスの侵入があれば、鼻に限らず、腸も粘液を垂らす(腸カタル)ものかと興味をそそられました。そう考えると、健康維持のためには交感神経と副交感神経が一方に偏りがちになることは好ましくなく、バランスを保つことが重要だということがわかります。
※久々に投稿しました。ご覧いただき、どうもありがとうございました。