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空洞に水がたまるのはなぜか

(1)一般的説明

空洞にたまったものは水なのか、あるいは水以外の何者なのか。確定診断には名古屋で経験したような気管支洗浄を行って内容物を分析するしかないように思います。ただ、寅三郎は名古屋以来、こういった検査を受けていません。気管支鏡による検査は、気管支に損傷を与える可能性もありますので、簡単な検査ではないことは確かです。できればやりたくないのでしょう。それはさておき、たまったのは本当に水なのでしょうか。

 水はそもそもどこから来たのかを、受け持ちの先生に伺ったことがありました。血管からしみ出したとのことでした。先生からは、「免疫細胞は、水があった方が遊動しやすいでしょう」と。となれば、血液成分から来ているのは間違いありません。私は、血管のどこかがカビの影響でやられて、そこから漏れ出したのではないかと思いました。であれば、それは水ではなく、血液ではないかと。ずっとそう考えてきたので、先生のお話を伺って、すっかり安心したことを覚えています。血管が欠損したわけではなく、免疫細胞の都合で水がたまったということです。しかし、あらためて考えると、それでは、肺炎になったらすべて水が溜まるのかというと必ずしもそうはなっていない。本当のことが知りたいと思いました。

 血液成分は、血漿(無色透明)と血球(赤色)に分かれます。血が赤いのは赤血球のヘモグロビンに由来します。血漿の9割は水、残りはタンパク質とその他の栄養素です。また、タンパク質の6割はアルブミン(ALB)で占めます。血液検査で総タンパク質の量に0.6掛けすると、だいたいアルブミンの量になるのでこのあたりの見当がつきます。アルブミンの大切な働きの一つが、血液中の水分量の調節です。アルブミンが減少すると、末梢血管先端から血管外の組織に血漿成分全体の9割を占める水の一部が流れ出します。あとでわかったことですが、肺に水がたまったのは、丁寧に言えば、どうもこういったことのようでした。それがすべてではないにしても、アルブミンの減少が関与している。寅三郎が不安そうに聞いてきたので、安心するために話したことがそれだったのでしょう。それを知ったときに、先生の優しさを感じました。そして、先生のお気持ちを裏切らないように寅三郎もこの病としっかり向き合い、克服しようと思いました。

 医者は自然科学者です。その領域は生物学から生化学に至るまで広範囲にわたります。その一方で、実務家でもあります。なので、思い描く病像を矛盾なく説明できることが科学者としての達成感であることは間違いありません。ただ、実務家としての達成感はそこにはない。患者と真摯に向き合うことを通じて、患者が希望を持って病に立ち向かえるように説明することにあるはずです。患者は希望の持てる答えを求めています。たとえ、それが多少の説明の幅を含んでいるとしても。素人が何をかいわんやですが、患者が医師に求めていることはまさにそういうことではないかと思っています。

 

(2)寅三郎の場合

寅三郎は、アスペルギローマという特殊な病に罹ったために、5年前(2016年)に名古屋から田舎に引っ越すときに、ネット情報で引っ越し先の病院探しから始めました。名古屋の病院で紹介状を書いていただく際に、「田舎に引っ越すようだけど、いい病院はあるんですか」と聞かれました。先生のお立場からすれば、この病気の専門医である自分が、なぜに田舎の医師に紹介状を出さねばならぬのかという思いもあったのでしょう。

 では、専門病院はこの病に対して、何か特別、アグレッシブな闘いをしてくれたでしょうか。結局は維持療法しかしてくれなかったじゃないかという思いが寅三郎にはありました。実際、治療を続けたにも関わらず、カビはジワリと増えていたからです。なんでもっとアグレッシブな対応をしていただけないのか、不満を募らせてきました。信頼関係が築けなければ、病が好転するはずもありません。都会の病院を放擲されるように田舎に引っ越しました。振出しに戻って、ゼロからのスタートであることを自覚せざるを得ませんでした。それからは病との過酷な闘いが幕を開けることになります。

 その後のことを少しお話しさせていただければ、引っ越しして、二年ほどたったとき(2018年)に、とある先生が、寅三郎の受持ち医になりました。この頃は、いわば急性期が再来した頃でしたから、病態は最悪。血痰どころか、血まで吐くといった状況でした。先生からは、このままではいずれ取り返しのつかない事態に陥ると説明を受けました。いつ命を落としてもおかしくない、そんな状況でした。この頃に寅三郎は3年日記を買い求めました。せめて、65歳まで生きて、一年くらいは年金をもらってみたいとの思いからでした。

 しかし、この先生の治療を受けられたことをきっかけに、それまで空回りしていた歯車は再びしっかりと回り始めます。出会い、運命とは本当に不思議なものです。先生からのアドバイスは概要つぎのようなものでした。現在考えられるだけの選択肢(治療の最先端)を示して、どの治療方法を選択するかを自分で選んでくださいと。それぞれにリスクも示されました。そのうえで、望みとする医療機関にどういった先生がおられて、何を専門にされていて、どういった治療実績を上げられているかを示したうえで、その先生に紹介状を書くから、直接、可能性を探してきてくださいということになりました。お言葉に甘えさせていただき、数か月をかけて、あらゆる可能性に当たりました。その結果、今の先生の治療が最良であるとの考えにたどり着き、再び、先生のお世話になることとなりました。先生との信頼関係がまさに強固になった瞬間でした。

 今更に考えると、このことは、仏教の説話にも通じるように思いました。ざっと紹介すると、お釈迦様のもとを子供を亡くして嘆き悲しむ母親が、我を失いながら、死んだ子供を生き返らせてほしいと相談に来ます。お釈迦様は「あなたが、死人を出したことのない家を見つけることができたなら、子供を生き返らせてあげよう。」と母親に約束されます。それを励みに、母親は、必死になって親戚の家、友人の家と、あらゆる家という家を訪ね歩きました。しかし、結局、そのような家をさがすことができませんでした。釈迦の元を再び訪れたときには、母親はすべてを悟った表情になっていた、というお話です。どこかに病を治してくれる名医がいるはずだ、そこで治療を受けられれば、治るはずだと、「ブラックジャック」を求める当時の自分と同じだと思いました。先生は、それをいさめてくださいました。治すのは自分(の免疫)であると。自分がしっかりしていれば病は必ず治る。腹をくくりなさいと。その心構えができたなら、あらゆる助力を惜しみませんと。

 その後、肺炎も経験し、一時は命に係わる病態となりましたがそれを乗り越え、病は落ち着きを見せ、再び沈静化へと向かいました。先生はその後、大学に移っていかれ、寅三郎の受持ち医も現在の先生に変わりました。しかし、現在の先生も熱血医です。患者本位で一緒に考えてくださる。考えられる限りの選択肢を複数検討、提案してくださる方です。おかげさまで、様々なことを学びました。先生たちのおかげで、いま、寅三郎はとても健康に近い状態にまで回復しました。